10月16日
朝晩めっきり寒くなってきた。
夜寝る時には膝のネジレ予防のために入院中も使っていたニーブレイスを着けて寝ている。
少し緩めに着けているのだけれど、これが保温もしてくれるのよね。
冬になると電気毛布が離せない私には心強い助っ人かもしれない。
昨日の『健康』についての補足。
ちょっと言葉が足りなかったかなって思って。
平成12年だったかな、『健康日本21』が推進されるようになってから健康志向がやたらと高まったように思う。
健康でありたいと思い、それぞれに健康管理に努めること自体は素晴らしいことだと思う。
ただ、そこには当然間違った認識、健康食品・サプリメントに対する妄信的ともいえる依存などおよそ好ましくない現象が起こっている。
身近で経験した例
・プロポリスは抗生物質だから、身体に良い
・年を取ると抵抗力が0になる
・漢方は副作用がない・・・などなど。
正しい知識に基づいた上で自分の健康管理に活かしていくのだったら、問題はない。
でも、間違った認識でしかもそれを好意から人に勧めるとなると、これはもう犯罪に近い。
私の職場でも、いわゆる代替療法に最後の望みをかける患者・家族を多く見てきた。
この辺りは本当に難しい問題なんだわ。
例えば、予後1ヶ月と告知された患者さんが代替療法を続けて、3ヶ月生き延びたとする。
すると、それは代替療法をやったからそれだけ生きていられたということになる。
でも、それを立証することは出来ないんだわ。
予後1ヶ月と言われ、何もしなくても半年生きる場合もあるし、
人によりけりの経過を辿るから、一概に言えることではないと思う。
代替療法をすることで、患者・家族が満足して日々過ごせるならそれもありだろうし
要するに、どこまで納得してその時間を過ごせるかが問題であると思うんだわ。
ちょっと脱線しちゃった。
昨日の補足をしなければ・・・
病や障害と共に生きている状態。
それだけで、果たして健康でないと言い切れてしまうのだろうかという疑問が私の中にはある。
病や障害に伴う不快な症状、痛みやしびれ、倦怠感などが日常生活を送る上で支障のない程度にコントロールされている。
適切な治療により病状そのものもコントロールされている。
障害されている機能を補う支援体制が整えられている。
家族やその他のサポートシステムが適切に機能している。
そして、なによりも本人がその現況を受け容れ、精神的に自立している。
こういう場合も、健康の一側面であるように思っている。
健康という言葉の定義をどう捉えるかという問題とも関係があることだけれど、
病や障害があるというだけで、健康という枠から切り捨てることは出来ないのではないかというのが私の考え。
極論すれば、どのような状態にあったとしても、『幸せ』と感じられる人の方が
病気と無縁の生活をしながらもやれ○○健康法とか△△のサプリとか盲目的に走っている人よりも少なくとも健全ではあるように思う。
『健全とは』と聞かれるとまた振り出しに戻るけど。。。
早いもので、宝物も生後7ヶ月を過ぎました。
昨日は滑り台を初体験したそうな・・・
今日、届いたムービーでは、奇声を発しながら自分でむせこんでました。
肌寒い日には彼を抱っこしてたら、きっとあったかいだろうな。